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文化の歴史


■ごあいさつ■

蛍池文化幼稚園 園長
泉 潔

園 長 泉 潔 藍綬褒章受章

昭和4年、前園長野中とえが当地蛍池(当時麻田村)に幼児教育の砦を築いてより、本年で満79年になります。この永い間地域の麻田・蛍池と共に歩み続け、幼児教育の中心的存在としての役割を果たし続けることが出来ましたのは、偏に地域の方々の幼児教育に対する思いと、地域を愛する心情のあらわれにほかならないと考えます。

昭和28年の正門

創立当初は、現麻田農協のすぐ前の南門前池の辺にありました園長の自宅及び庭を解放して「出口幼児園」として開園されました。園児達も最初は20名ほどの小さな幼稚園でしたが、徐々に入園する子どもたちも増え、東は刀根山元町から山を越え、南は走井箕輪から田圃の畦道を通り、40〜50分もかけて通園していました。もちろん当時はスクールバスなどあるはずもなく、先生の送迎で手をつなぎ歌を歌いながら、通園途上から保育が始まっているといった状況でありました。昭和11年に現在地へ移転、周りを田圃や畑に囲まれた緑いっぱい太陽いっぱいの幼稚園でありました。太平洋戦争による戦時下に入ると、窓ガラスに飛散防止の紙を貼ったり、園庭を食料増産のため畑にしたりと大変な時代となりました。昭和20年はじめより米軍による空襲爆撃のため、遂に休園の止むなきに至りました。しかし終戦後昭和21年より幼稚園を再開し、戦後の荒廃の中混乱に立ち向かう子どもの教育に教職員一同と手を取り合って情熱を持ち教育に当たりました。

園舎2階を増築、旧園舎も改装

昭和24年に当時豊中市教育長でありました島田先生のお勧めもあり、幼稚園を個人立から財団法人立へと改組しました。昭和38年頃より園児が増えはじめ、園舎の増改築が相次ぎ、隣接の園長の自宅敷地を提供して対応、しかし建築資金については当時の銀行は幼稚園などほとんど融資の対象にしておらず、資金繰りには随分と苦労をしたものでありました。 幼児教育に心血を注いだ前園長野中とえは、昭和46年にその功労により勲六等賓冠章を授与されました。しかし昭和48年園児たちの健やかな成長を願いつつ逝去され、その意志を継いで泉潔が二代目園長に就任しました。その直後、園児急増とオイルショックに見舞われ、園地取得・園舎建築など苦労の連続でありました。昭和52年には航空機騒音対策事業関連で、園舎の全面改築を行うこととなりました。新園舎竣工なった昭和 53年に1年早い創立50周年として園舎の披露をさせていただいてより早や25年の歳月が流れたわけであります。昭和54年には豊中市の要請を受け、保育に欠ける家庭の幼児のために豊中市委託簡易保育所としていずみ保育園を開設いたしました。その後昭和57年に財団法人蛍池文化幼稚園から学校法人蛍池学園へ幼稚園の設置主体が変更になりましたが、地域の幼児教育センターとしての役割は幼稚園と保育園が力を合わせつつ、幼児教育に逼進しています。

創立80周年航空写真

平成11年には前園長に続いて現園長も藍綬褒章受章の栄誉を受けることができましたのも、79年に亘り地域の方々に支えられ、地域の皆様と共に次代を背負う素晴らしき人づくりのために、日々寝食を忘れるがごとく勤めさせていただけたお陰であると思います。
中でも幼稚園を自分の分身であるかの如く頑張っていただいた橋本元副園長はじめ多くの旧教職員の方々に心より感謝申し上げます。学校法人名も地域に根差した教育施設として、いつまでも貢献できますように『蛍池学園』と致しました。今後とも更に努力を重ね、地域と共に歩んでゆく蛍池学園蛍池文化幼稚園が、創立 100周年を目指して今日から頑張って参ります。いつまでも変わらぬご支援ご指導を心よりお願い申し上げますと共に、皆様の御健勝御多幸を祈念しご挨拶といたします。



■思い出■

初代 園長
野中 トエ(1967年記)

初代園長 野中トエ

懐かしい思い出の蛍池小学校は今から60年前、村立麻田尋常小学校でありました。明治45年9月1日が私の就職記念日であります。
服部緑地の南方サボテン公園の麓から阪急電車服部駅まで2キロ、淋しい淋しい田舎道で、途中は広い田畑、農家は一軒もありませんでした。今の北条町がポツンと天竺川の堤防の下にあって、ここも静かな所でした。仕事の都合で学校の帰りが遅くなった時は、高川の松林で狐の鳴く声も聞こえました。その時こそゾッと身の毛のよだつ思いを今も忘れません。思えば18年の間、暑さ寒さに負けず休まず、一生懸命に勤務しました。当時の麻田小学校は、今の麻田農協会館の土地で、正方形の敷地、道の正面には大きな石の門が2体ロボットのように立ち、左手が役場で少し歩くと学校の正門、応接間に続いて職員室、左手に小使室右に裁縫室ほか4室がありました。教室は特に日当たりが良く少し離れて大きい柳の木がにこにこといつも私を招いてくれました。

開園当時

その近くに丈夫なすべり台が只唯一の遊具であり、入学の記念写真もいつもここで撮りました。進藤校長先生と2人の男の先生と私で4人でありました。学級数も4組、私が一番楽しい3、4年生を受け持ちました。静かな良き環境に恵まれた学校で、可愛い教え子もすくすくと成長し卒業して行きました。
それも昨日のように思われますが、最早素晴らしい自治会長、組合長、支店長、社長、園長、校長とそれぞれ社会の重要な地位にあって、尚も発明発見に研究を重ね努力する人もあります。社会に活躍される蓬しき姿を見る毎に頭が下がります。なお時代に沿って次々と発展の一途を辿り、ますます前身される姿こそ私にとり貴き賜でございます。偏に家庭教育の躾に専念されたお母さま方のご苦労の賜でございます。如何に幼児の躾が家庭において大切であることか申すまでもありません。母の尊き使命であります。
私も永き間の尊き教職の体験を基礎に、ますます伸びゆく幼児を保育する責任の重大さをしみじみ噛みしめ、蛍池文化幼稚園の若き先生と共に、がっちり手を取り合って今日の保育の喜びを分け合い、健康に注意し努力努力で最善の方針に邁進する覚悟でございます。



■沿革■

1929/04
大阪府豊能郡麻田村1655番地(現豊中市蛍池中町1-1)に自宅を解放し、出ロ幼児園として開園(園長野中とえ)
1936/04
豊中市麻田655番地(現豊中市蛍池西町1-11-3)の現在地に移転。敷地430平方メートル、木造園舎2保育室
1936/10
豊中市制公布(豊中町、麻田村、桜井谷村、熊野田村)
1944/04
太平洋戦争のため終戦まで休園
1948/04
財団法人蛍池文化幼稚園として大阪府知事よリ認可
1951/11
第一次園地拡張(165平方メートル)
1953/04
リズム室及び職員室増築
1955/05
第二次園地拡張(165平方メートル)
1957/07
第三次園地拡張(460平方メートル)
1963/10
鉄骨2階建て2保育室増築
1966/08
鉄骨2階建て1保育室増築
1971/03
鉄骨2階建て2保育室増築(1階部分ピロティ)
1971/04
園長野中とえ叙勲によリ勲六等宝冠章受章
1973/05
園長野中とえ逝去
1973/08
泉 潔園長就任
1973/11
第四次園地拡張(200平方メートル)
1974/04
鉄骨2階建て2保育室増築
1977/12
園舎全面改築A棟竣工(鉄筋コンクリート2階建て8保育室/防音建築/637平方メートル)
1978/04
園舎全面改築B棟竣工(鉄筋コンクリート3階建て/ホール・職員室・管理室等/防音建築/472平方メートル)
1979/04
豊中市委託簡易保育所、いずみ保育園開設
1982/02
学校法人蛍池学園設立認可(財団法人蛍池文化幼稚園から学校法人へ設置主体変更認可)
1987/01
第五次園地拡張(840平方メートル、あおぞら教室開設)
1991/12
あおぞら教室用地、大阪府モノレール事業団に買収のため豊中市山の上町に借地移転
1992/07
兵庫県に園外園地取得(3244平方メートル)
1996/08
いずみ保育園保育室、一部改築及び園庭改装
1999/04
園長泉 潔、功績によリ藍綬褒章受章
1999/08
幼稚園1・2階トイレットルーム、洋式に全面改修
2000/08
保育園1・2階トイレットルーム、洋式に全面改修
2000/10
少子化対策特例交付金によリ、コンピュータールーム設置
2000/11
蛍池文化幼稚園創立70周年(アクア文化ホールに於いて記念式典及び記念事業)
2001/11
保育園事務室・厨房設備・空調設備設置、保育室空調設備増設
2002/04
いずみ保育園は簡易保育園から大阪府認可保育園へ
2003/03
全保育室空調設備完備
2005/04
3階建て新館完成
2010/04
いずみ保育園新園舎完成、蛍池駅前に移転
2012/03
第六次園地拡張(隣接地333平方メートル、駅前800平方メートル〈青空教室〉)
2014/04
認定こども保育園「あっぷるこども園」を蛍池駅前に開園
2015/04
「蛍池文化幼稚園」を新しいこども・子育て新制度にそった幼稚園型認定こども園に

文化の入園
文化の保育
文化の環境
蛍池文化幼稚園 創立80周年


創立80周年を記念して、給食費完全無料化を続けています。
〒560-0036 大阪府豊中市蛍池西町1-11-3

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